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人生の節目である40代までに読んでおきたい本 [書評]

最近人生の展望が見えづらくなることが多々ある。
それは正に「自分の人生哲学を確立せよ」という天からの声だと思う。
わかってはいるのだが、じゃあ具体的に何をどう考えたらいいの?と思うとこれがなかなか大変な作業だ。
20代の若者ならまだしも、既に人生の半分を越えるか越えないかの時期に当たっている自分。
図書館で「40代」関連の話題はないかと必死の検索を試みたら、面白い本と出合った。 
 
 
自分に適した仕事がないと思ったら読む本―落ちこぼれの就職・転職術 (幻冬舎新書)

自分に適した仕事がないと思ったら読む本―落ちこぼれの就職・転職術 (幻冬舎新書)

  • 作者: 福澤 徹三
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2008/01
  • メディア: 新書

 
 
 
 
本文から特に興味のある文章を抜粋してみる。
 
仕事にやりがいを求めるのはともかく、楽しさを求めるのも無理があります。
仕事の楽しさというのは、何かを達成したときに感じるもので、仕事そのものが楽しいのは極めてまれです。大手企業の「おいしい仕事」であっても、所得や待遇はいいにしろ、必ずしも仕事自体が楽なわけではありません。
昔の商人ふうにいえば「働く」とは「はた」を「楽」にするのであって、自らが楽しむのは娯楽です。一般的には娯楽でも、仕事となったら意味が異なるのは、棋士やスポーツ選手を見ればわかるでしょう。
古臭い考え方かもしれませんが、自分が汗を流した分、まわりの人が楽になったり、喜んだりする。 その対価として所得があると考えるのが自然だと思います。
 
この世のどこかに「自分に向いた仕事がある」と信じて、それさえ見つかればすべてが解決するというのは、いわゆる適職信仰です。
適職とは平たく言えば「自分にあった仕事」、つまり「自分らしさ」を発揮できる仕事です。「自分らしさ」とは何かというと、その人の持つ個性です。
幼い頃から天才的に絵がうまいとか、運動神経が抜群という子もいますが、それは個性というより、持って生まれた天分です。天分を伸ばすのも教育の役目ではあるものの、それは生徒全体ではなく、個人に対してなされるべきです。だいたい凡人が大多数だから個性が映えるので、全員が個性的なら、天分は埋もれてしまいます。
適職を求める若者にしても「自分らしさ」を口にするわりに、それほど個性は感じられません。似たようなファッションを身につけて、似たようなファーストフードを食べ、似たような言葉で喋り、似たようなバイトをし、似たようなテレビ番組を観て、似たような漫画や雑誌を読み、似たような生活にあこがれる。
全員がそうだと決めつけるつもりはありませんが、人とはちがうと思っていても、はたから見れば大差ないのが自分というものです。
みんなと似たような日常から「自分らしさ」が生まれるとは思えませんし、少なくとも「自分探し」までして見つける必要はないでしょう。
個性とは最初からあるものではなくて、自らが育むものです。世の中へでて、さまざまな経験を積むうちに芽生えてくるのが、ほんとうの個性だと思います。
 
世の中には、免許も資格もいらない仕事がたくさんあります。
免許も資格もいらないのですから、これらの肩書きは自称したっていいのです(大学教授は別ですが)。しかし、それでは生活できないし、まわりも認めてくれません。プロを名乗るためには、とりあえず企業に入るしかありません。
けれども、ただ就職するだけで、様々な肩書きが手に入るのは魅力的ではないでしょうか。それがおもしろくて、私は求人情報を読み続けていたのです。
「人生における大きな喜びは、君にはできないと世間が言うことをやることだ」というのは、イギリスの経済学者、ウォルター・バジョットの言葉です。
 
世間は多くの場合、その人の立場を見た目で判断します。
おなじ人物でも、公園で寝そべっていればホームレスだと思うし、教壇に立っていれば教師だと思います。
また、人は置かれた立場にふさわしい行動をします。家もなく無一文なら残飯を漁るでしょうし、教壇に立つのなら、それらしいことを喋るでしょう。
したがって、なりたい者があるなら、まねればいい、なりたい者を演じればいいのです。ひたすらまねることが、なりたい者になる唯一の道です。
まねる対象は、なにも生きている人物に限りません。
書物のなかには、偉大な先輩たちの言葉がぎっしり詰まっています。あらゆる事例に関する、あらゆる答えがそこにあります。この本に格言や箴言を多く引用しているのも、若い人たちに先輩たちの知恵に触れてほしいからです。
そういう意味では、この本だってまねです。自分の体験などごくわずかで、あとは過去に読んだり聞いたりした先輩たちの意見を受け売りしているにすぎません。
ただ、長年まねているうちに血肉に溶けて、どこからが受け売りでどこからがそうでないのか忘れているので、本を出すような図々しいことができるのです。
もっとも、いくら先輩たちをまねても、完璧にはなりません。まねてもまねても、どこかにちがう部分が出てきます。それが、そのひとの個性です。
 
自分より年下の人間にぺこぺこするのはつらいものです。
私のように無学な者でもそうなのですから、学歴のある人はなおさらでしょう。学生の頃は、自分が一番下っぱだと思っていますから、 誰にでも頭をさげられますが、少し歳をとると、年下の同僚や上司が出てきます。
「頭のさがるうちが華」というゆえんです。
けれども、歳をとってしまったものは仕方がありません。分からないことがあったら、なおに頭をさげて、教えを乞う姿勢が大切です。弱さをさらけだすのも、ひとつの強さだと思います。
頭をさげるのに屈辱を感じるなら、それは自分がまいた種であって、他人を恨む筋合いのものではありません。むしろ屈辱をばねにして、仕事に意欲を燃やすべきでしょう。
 
ひとに意地悪をする人間というのは、たいてい職場で孤立しています。周囲から理解されない鬱憤を、意地悪で発散している場合も多いでしょう。それだけに自分を理解してくれる人間には、打って変わって胸襟を開くものです。
もし職場にあなたの苦手な人物や、あなたを嫌っている人物がいたら、ぜひとも近づいてみてください。用もないのに近づく必要はありませんが、仕事で接点があるときは積極的に話をしてみましょう。
その際にこちらが意見をいうのはもちろんですが、それ以上に相手の話を聞いてあげるのが大事です。「話し上手は聞き上手」といわれるとおり、話を聞いてあげることで、相手の気持ちはやわらいできます。相手の気持ちがやわらぐことで、こちらの意見も通りやすくなるのです。
もちろん最初の段階では「おれが嫌っているのが分からないのか」とばかりに、やっきになって攻撃してくるかもしれません。
しかしそれを受け流していると、相手は当惑します。「こいつは、なんで近づいてくるんだろう」と思ってくれたらしめたもので、相手はあなたのことを考えはじめます。
相手があなたのことを考えはじめたということは、あなた自身がそうであったように、理解への一歩を踏み出したのです。
 
自分としてはここにもう一冊、過去に読んだ名作を付け加えたいと思う。
 
 
納棺夫日記 (文春文庫)

納棺夫日記 (文春文庫)

  • 作者: 青木 新門
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 1996/07
  • メディア: 文庫
 
なんで「おくりびと」の原作が登場するのかというと、この2冊、非常に似ていると直感したから。
人生の辛苦を味わってきた二人の作家から、共通する心の叫びが聞こえてくる。
前者はそれが世俗次元に止まり、後者は宗教次元まで移行してはいるものの、その本質はそれほど違いがない。
彼らの生き様は「他の為に生きる感謝の人生」という言葉に集約できると思う。 
 
短い人生行路の中で人々は「自分探し」に彷徨うが、それは自分の為に生きても成し遂げることができないことを教えてくれている。
信仰を持つ立場にいたとしても、ややもすれば物事の本質から外れやすい世俗社会の中で、 世俗を底を知り尽くした彼らの到達点は年齢を超えた希望の灯として輝いていると確信する。
 

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